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「私が最も敬慕する
将帥は李舜臣である。英国ネルソン提督の名声が高いが、人格と天才性で彼に匹敵することはできない。」
-佐藤鉄太郎

佐藤鉄太郎は明治日本海軍の著名な思想家であり、日本が「戦争の英雄」として崇める東郷平八郎の日露戦争の勝利を助けた最大の功労者です。彼は彼の理論を集大成した「帝国国防史論」(1908)と「絶世の名海将李舜臣」(1927)などの著書で李舜臣将軍に対して上記のように評価しました。佐藤は李舜臣将軍をナポレオンのフランス-スペイン連合艦隊を撃破して戦死して、欧州海戦の歴史の神話となった英国のネルソン提督を超えた「東西海将のうち第1人者」と絶賛したりもしました。
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韓国人にとって李舜臣将軍は世宗大王と共に言うまでもない最高の英雄です。朝鮮の宗廟社稷が、それでも500年以上命脈を保つことができたのは、そのような傑出した人物が存在したからです。ところで、李舜臣将軍を尊敬するのは韓国人だけではありません。興味深いことに、それによって水軍が壊滅するかのようにして侵略の妄想を畳まなければならなかった日本国内でも、彼を敬う雰囲気がありました。彼の非凡な能力は「懲毖録」と「李忠武公全書」など朝鮮の司書だけでなく、「朝鮮李舜臣伝」「帝国海軍事論」など、日本人が書いた書籍にもよく現れています。日本が戦争を起こした当事国であるせいか「李舜臣」という名前は今でも非常によく知られており、関連研究も多く行われてきました。先週には、100ウォンの貨幣にある将軍の肖像が親日画家が描いたという理由で交換されるかもしれないというニュースが日本にも伝えられ、注目を集めたりもしました。

李舜臣、日教科書に名前が出て東郷より有名
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日本の教科書に名前が登場し、高い認知度まである韓国人は、見つけることは容易でないが、李舜臣将軍は例外です。歴史学者イチョンガク教授は著書「日本人と李舜臣」で「韓国人のうち日本の歴史教科書に名前が出てくるのは李舜臣将軍が唯一であり、壬辰倭乱と関連して将軍と亀甲船の写真が抜ける場合はほとんどない」と書いたりもしました。一般化はできないが、実際に日本人たちに、「李舜臣または東郷平八郎という名前を知っているか」と質問すると、「東郷より李舜臣の方が有名」という答えを聞くこともあります。映画「鳴梁」、ドラマ「壬辰倭乱1592」などに出演した俳優武田裕光も過去韓国メディアとのインタビューしながら「教科書に日本軍が負けたという内容がある」とし「日本人の大多数が知っているくらい李舜臣将軍は重要に扱われる」と話したことがあります。このためか、日本の右翼を中心に李舜臣将軍の説明をあえて教科書に入れる必要があるのかと不満が出ることもあります。

実際、日本で李舜臣将軍の名前が最初に知られるようになった発端は、壬辰倭乱終結後、約100年後の1695年「懲毖録」日本語版である「朝鮮懲毖録」出版です。「懲毖録」を盗んで翻訳して出した朝鮮懲毖録を通じて日本人たちは識者層を中心に李舜臣将軍について知るようになったし、これに影響受けて出版された「朝鮮軍記大全」などの後続の著作物は、大きな人気を集めました。

日国民作家「李舜臣は存在自体が奇跡」
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現代に「李舜臣」という名前が日本人の間大衆的に知られるようになったのは、「日本の国民作家」で通じる司馬遼太郎の役割が大きかったです。「梟の城」「竜馬がゆく」など多くのベストセラーと受賞作を残した彼は日本人が「歴史教科書の代わりに司馬遼太郎の小説で近現代史を学ぶ」とするほど、日本国内で高い地位を持つ歴史作家です。特に代表作の中で日露戦争の時期を舞台にした「坂の上の雲」、日韓国交正常化以後、直接韓国を旅行した紀行文集「韓のくに紀行」などは、李舜臣将軍について詳細に述べられた部分が出ます。彼は李舜臣将軍を「存在自体が奇跡」「英国のネルソン以前唯一の名将」などで絶賛しています。

彼の歴史観は明治時代を過度に賞賛したのに反し、日本の侵略的性格に対する反省は不足しており、李舜臣将軍を発見したのは、朝鮮ではなく、明治海軍だったとするなどの誤りや限界も多く指摘されています。しかし、「坂の上の雲」だけでも、累積発行部数が2000万部を遥かに超えて、2009年にはドラマ化され、NHKで放映されるほど人気を集めました。こうみると李舜臣将軍だけ集中研究したり、関連する著作物を出した他の日本人学者たちよりも、その一人が李舜臣という名前を、日本の大衆の脳裏に刻印させるのに、より大きな影響を及ぼしたと思われます。

日海軍、自分たちが憎悪した李舜臣参拝して勝利祈願
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日本の明治海軍で李舜臣将軍を畏敬する現象が広がっていたのは、多くの資料と証言で確認されているという事実です。ロシアのバルチック艦隊との一戦を控えた日本艦隊の少尉川田功が将軍の魂に勝利を祈ったという逸話は、最もよく知られています。1977年10月発行された日本の月刊誌「アジア※※」には、除隊後文筆家として活動した川田が自分をはじめとする日本海軍が年中行事で統営「忠烈祠」を参拝したという内容が紹介されています。司馬遼太郎は将軍級のエリート士官と教官まで李舜臣将軍に対する畏敬の念があったと彼らの子孫たちの証言をもとに叙述したことがあるが、このような現象は、明治以後大正時代まで続いたと思われます。

当然の話だが「乱中日記」と「李忠武公全書」などには李舜臣将軍が外敵に対して持っていた憎悪がどれだけ大きかったのかよく現れています。将軍はそれらを「獣やおばけ」とし「信義がなく狡猾、凶悪で同じ空の下生きられない敵」と称しました。末の息子を彼らの手で失った後表現したいらいらする心情と恨みで敵意が骨身に沁みたと簡単に推測することができます。

それでも、日本海軍が李舜臣将軍を褒め称えた理由については、いくつかの解釈があります。まず、類例を探すのが難しい抜群の能力と高邁な人柄を備えた人物であるため、彼我区別なく、同じ軍人として尊敬する心が自然にできたということです。神道などの民間信仰が発達して死ねばどうせ皆神になって優れた軍人は軍神になると信じている日本人の独特の感覚では、敵将を崇拝するというのがあまりおかしくないと見たりもします。しかし、李舜臣将軍のように優れた将帥と戦った自分たちも優れたという点を強調するためだったという分析がより説得力のあるように聞こえます。

李舜臣賛美、劣勢な海軍力の拡張のための小細工だったか
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とにかく日本軍が、あえて300年前、他の国の将軍を召喚して称賛した裏面には、他の意図があっただろうという指摘がはるかに説得力あるように見えます。純粋な尊敬の念より日本軍の必要による戦略的な結果だったということです。江戸時代に出版された書籍で李舜臣将軍は非凡な人物で描かたりしたが、主に浮上したイメージは、「忠」という軍人の美徳でした。そんなことが明治時代以降は国運を決めた「海戦の名将」という点に焦点が移っていくが、ここには日本国内の環境変化が作用しました。

当初日本は明治維新以後脆弱だった海軍力の増強のためにイギリス海軍のロールモデルとしました。しかし、日本海軍は陸軍と軍事主導権をめぐる戦いで押し出されていたが、このような状況を打開しようと持ち出した人物が李舜臣将軍ということです。この時、日本海軍は「世界4大海戦」という言葉まで作って海軍が生きてこそ、日本が生きると主張していたことが知られています。実際に明治時代に入って李舜臣将軍に対する日本の研究・出版は急増したが、1892年「朝鮮李舜臣伝」に初めて李舜臣将軍を英国のネルソンに例えた部分が出てきた後、二人の人物を比較する談論が相次ぎ開始しました。
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つまり、日本海軍は「西洋のネルソン」に対応する「東洋の李舜臣」将軍を前に出して、海軍戦力増強のための必要性を力説する宣伝戦を図ったとすることができます。そして、このような宣伝と称賛の対象は東郷が率いた日本艦隊がロシアのバルチック艦隊を相手におさめた大勝を基点に李舜臣将軍から東郷に移されます。

しかし、だからといって、日本が東郷を浮かし始めて以後、それ以上李舜臣将軍に対する尊敬と賛辞を見ることができなくなったのではありません。日帝が軍国主義路線を強化し、大陸侵略まで本格化する1920年代に入って李舜臣将軍を貶めする記述が登場したりするが、これはほんの一握りに過ぎませんでした。これよりさらに多くの資料で李舜臣将軍を高く評価した一節が発見され、このような傾向は、現代まで至っています。

民族的英雄、政争に利用されてはいけない
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古今東西を問わず、歴史学が高く評価される理由は、学問自体の価値だけでなく、「国を救った英雄」に対する歴史的捜査が民族意識を鼓吹して国難克服の原動力になってきたというところにあります。日本植民地時代丹斎申采浩、白岩朴殷植など民族主義史学者たちが李舜臣将軍の研究に心血を注いだのもまさにこのためです。

最近になって、唯一将軍の名前が政界で頻繁に登場する様子です。民族的英雄の名前が消耗的で、とんでもない脈絡であまりにも軽く召喚されるのではないか残念でなりません。日本は敵将である李舜臣将軍の存在を自分たちの国益に合致する方向で評価し、研究することに力を注ぎました。そしてロシアを押し出し、朝鮮を強制併合して列強の隊列に上がりました。一方、朝鮮は朴殷植先生が指摘したように、旧韓末「李舜臣精神を継承することができなかった結果」日本の植民地に転落してしまいました。東郷とは比べ物にならないように優れた名将を生んでも私利私欲に目がくらんだ権力層の無能と安易さによって国土は蹂躙され、国民は恥辱を受けなければなりませんでした。

「乱中日記」の原本裏表紙には、将軍が「一心」という手決(署名)を数えきれないほど振り回して書いた筆跡が残っています。一心は文字通り将軍の国のための「一途な心」を表現したものと解釈されています。是非、現在の指導層も李舜臣将軍の名前を政治的ツールとしてその名声に泥を塗るのではなく、一心精神を見習って、どうすれば本当に国に貢献するか物心両面悩む姿勢を示して欲しいです。
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=104&oid=009&aid=0004705095


韓国・反応


・このような良い記事に土着倭寇とか何だとかこうした話したいですか??
そのように倭人たちから守ったこの国で今は問題が生じれば半分に分かれて
互いに罵って嫌悪してそうしたいですか??
ともすると進歩だ何だ、ともすると倭寇だ、アカだ‥
どれくらい洗脳されればこのような記事を読みながらも
そのような二分法的な考えだけすることができるのか理解ができませんwwww
正直に言えば、理念に洗脳されて他の考えをできないオウムのように感じられますwww
人のように見えないということです。自分で主体的に考えながら生きてください



・日本が今でこそ発展を止めたかのように保守的な国になったが、
あの時代から数十年前までは敵から学ぶのが国の哲学に近かった程に
学んでまた学ぶのに執着した国家だった。
明治維新や真珠湾襲撃のようなことが東アジアで可能なことと思った人々がいなかった。
李舜臣は彼らの立場では壬辰倭乱最高の敵将である。
そんな敵にまで学ぶ意志があるならば既に朝鮮亡国とは未来が違うしかなかっただろう。
結局ある集団の運命は学習意志にかかっている。
23戦23敗なのに24回目同じ不動産対策を出すこの政府の未来が惨憺たる理由である



・能力があれば敵さえも尊敬するものである



・白衣従軍という言葉を乱発する政治家たちは
ちょっと恥ずかしいと思うならむやみに口にするな



・李舜臣は救国の英雄であることを離れて全ての面で完璧な軍人だった。
率直に世の中のどの軍人が本人が参加した20個余りを超える海戦で常に勝利して
無能な政府の妨害まで受けて中間に粛清されたりもする渦中にも補給がなくて
駐屯地で部隊内で自給自足して他国の侵攻でもなく自国を守ることをすることができたか?
李舜臣の人生は敵軍が見ても呆れるほどの話ということだ



・本当に劣悪な環境の中でも23戦23全勝をされた李舜臣将軍様を考えると
今のこの良い環境でも24戦24連敗を記録中であるキムヒョンミが浮かんできます。
先祖のときだったら3族を滅ぼして極刑だっただろう



・韓国人は中国と日本人の性格がどうとか非難する資格、能力、価値、全くないはずなのに‥
グクポンに酔わずに自分客観化して現実に少しでも近づくように願います。
ウリが植民地化されたと日本が100%間違ったと思考するのは問題があるのではありませんか?
過去よりは未来を見て戦略的に対応するのが賢明です

↑、それなら他国を侵略して植民地にしたのが上手くやったことなのですか?土着倭寇様



・今、大韓民国は日本が問題ではなくアカが問題だ



・日本の最大の長所は、敵だが素晴らしいと認める姿勢だ。
ウリナラも認めるべきは認める姿勢を持つならさらに良い国になることができるだろう



・ムンジェインは狡猾で野卑な獣



・李舜臣の最大の欠点、朝鮮出身



・李舜臣のような方は望みもせず、ムンジェインのような野郎だけ出て来なければ幸い



・日本の奴らが米国を好むのを見れば自分の頭を強く殴った人を好む習性がある



・運動圏左派たちは狡猾な獣たち



・倭寇たちも認めるなんて



・まだ日本は隙さえあれば韓国を狙っている。より一層国防を育てよう



・李舜臣将軍様を愛します



・最近は私利私欲に目が眩んだゴミ記者たちが国を台無しにする



・李舜臣が100ウォンというのがまだ信じられない



・記事のクオリティーが。ぶるぶる
記者様、カムサハムニダ



・フクジャワユキチのように韓国が学ぶ日本の人物もいる。
世の中を白黒で見ないで



・日本人の特徴の一つはたとえ敵でも能力が優れれば認めて尊敬を表するということだ



・この国は大統領からが🐕であるだけ



・本陣は叩くこともできずに逃げただけなのに



・何の検証もなってない内容を記事化しないでください